4日 「Wikipediaはソースとして使わないでください」 #ネット世代 #フェイクニュース #ウィキペディアとは







学校とかで調べ物の宿題が出た時
先生たち、口をそろえて、
「Wikipediaから得た情報は
できるだけ使わないでください」って
言われることありませんか?

私は高校生だった時は
エッセイを書いたりする時や
プレゼンをする時には
Wikipediaは
引用しないでください、
って言われてました。

っていうのも、
Wikipediaに載ってる情報って
誰でもいつでも
変えられるからっていうのが
主な理由なんですね。

なんで
Wikipediaがだめで
図書館とかでみつける
百科事典はソースとして使えるのか
って考えたことありませんか?

私も高校生の時は
Wikipediaと個人ブログの差っていうのが
わかってなかったので
エッセイとか書く上での
ソースとして使えないってことは
納得はしてたんですけど
大学に入ってから、
特にコミュニケーション学の教授は
Wikipedia推奨派が
わりと多くて、、、!


なぜ推奨派が多いかというと
Wikipediaは、いろんな視点から
書かれてる、
偏見要素が減らされてる
百科事典だからなんですよ。

昔からある図書館とかに置いてある
百科事典って出版されるまでに
関わってる人たちの数って
Wikipediaと比べると
やっぱり限られてると思うんです。

でもって、Wikipediaは
ネット環境さえあれば
誰でもページを作れるし
編集できる、
しかも、編集してる人たちの中で
誰かが偏見ちっくなアイディアを書いてたり、
間違った情報、
または確実ではない情報を載せていたら
”話し合い”というのが
ページ上で行われるんです。

で、その”話し合い”を
私たちもみることができます。

例えば、このモーニング娘。のページ。




「ページ」っていうのが
いつも私たちがみる情報が
載っているスペースなのですが
その隣にある「ノート」っていうタブを
クリックすると、


こんな感じで、
編集者さんたちの話し合い含め、
編集履歴がみれます。

だから、ウィキペディアって
ブログやコラム、
ニュースサイトよりも
もしかしたら公平に
情報が載っている説が
あるわけなんですよ。

ニュースサイトとかってやっぱり
その会社の上にいる人たちが
思うように情報を伝えてる部分は
人間なのでどうしてもでてきてしまいます。

例えば、
「目玉焼きに塩」反対派の
醤油派の方が
その部署のトップであれば
どうしても、目玉焼きには
醤油をかけたほうがいいって
なるような記事が
多くなってしまうのは
しょうがないことだと思うんです。

で、あなたが
その会社が出版している
新聞の読者様だったりしたら
もちろん、
目玉焼きに醤油以外を
かけてる人は信じられない!って
考えになる確率が
ものすごい高いわけで。

もっと言って仕舞えば
お金をもらって、
その人が報じてほしいように
ニュースを書くことだって
余裕でできちゃうわけで・・・。

だから今の世の中
なにがフェイクニュースで
なにが正しいのかっていうのは
誰かにつくってもらうウェブサイトで
決めるのではなく
私たちが私たち自身で
わかるようにならなきゃ
ダメだと思うんですよね。
(イーロンマスク氏の
例のツイート参照。)


Wikipediaこそがきっと
私たちで作っていける
本来あるべき姿の
百科事典ということで
課題とかのソースとして
使うのはありなんじゃないか?と
私は考えます。

それくらいWikipediaは
パワーがあるし
そのパワーを
生かすも殺すも
ネット環境が揃ってる人たちが
ほとんどの今の世の中では
私たち次第ということです。


みなさんはどう思いますか?

Wikipedia、
ソースとして使うのは
ありですか?なしですか?


では!


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