2011年3月11日。
あの大きな地震から5年経ちました。
(日本時間だと昨日でしたが、いろいろあって
今日更新させていただきます。)
あの日の衝撃は、今でも覚えていて
時々カナダの人に聞かれるんです。
「あの地震のとき、何してたの?」と。
ということで、今日のブログは
もし、私があの日ブログを書いていたなら。という
テーマで書きたいと思います。
※過去に戻った程で書くので、
いろんなことを思い出させてしまう可能性があります。
なので、そういうのが苦手な方は
下にスクロールしてください。
_______________________________________________________
2011/3/11 22時
11日 学校で地震。
今日、大きな地震がありました。
地震が起こった時は、
部活の練習の最中で、
ちょうど足上げの練習をしていたので、
片足で立っていた状態だったのですが、
体育館の床がものすごく揺れて、
今までに経験したことのないような揺れでした。
一番最初の揺れが収まる前に
体育館の二階にいた、
違う部活のみんなも慌てて外に避難して、
とにかくなにが起こったのか
誰も把握できてなかったように見えました。
揺れは収まったような、収まってないような。
ずーっと揺れてる感覚に陥りました。
部活の後輩ちゃんの中には、
泣いている子もいたりして
私たちはどうしていいかわからないし
とにかく先生の指示に従いました。
揺れが収まったところで、
安全確認も終わり、
とりあえず室内に戻ることに。
ホールにまとめられた私たちは
携帯でママやパパと連絡を取ろうとするけど、
なかなか繋がらなくて、
やばいねー。ってなってました。
こんな時にDS持ってきてればよかったなー。とか、
今日のMステ、誰出るんだっけ。とか、
そんなことをみんなで笑いながら話せていたのは
先生たちが家でみるようなテレビの放送を
学校のテレビにつなげてくれる前の話です。
テレビをつなげてくれた先生たち。
私たち生徒は、「よっしゃーこれでMステ見れるー!!」みたいな
ノリでしたが、テレビにうつされた映像は
ハリウッド映画のワンシーンのようなもので
黒いスライムみたいなのがドクドクと田んぼや畑を侵食しているのです。
流れているテロップなどをみて、津波なんだ。ということは
すぐにわかりましたが、テレビから流れる情報で
あ、日本、やばい状況にいるんだ。と、実感することができました。
電車が止まっていて、いつ動くかわからない。
という情報がわかったのもこの頃です。
いろいろわかってきて、
この地震がどれだけ大きかったのか。ということもわかり、
夜の学校、うえーい!!!から、
中2なりに、いろんなことが心配になってきたんです。
(この時点で夜の8時過ぎ)
学校にどれくらい食料があるかなんてわからないし、
もし、学校に泊まることになったら
布団は全員分あるんだろうか。
水は足りるの?
電気はいつまで続くの?
携帯の充電は?
いつ家に帰れるの?
ママや妹は?
東北ってことは、
福島に住んでるおばあちゃんおじいちゃんは大丈夫なの?
という具合に、どんどん心配になって、
まわりのお友達で学校の近くに住んでいる子は
お母さんお父さんがお迎えにきたりしていてました。
信号が止まっている。
コンビニの商品はほぼ全部売り切れ。など
お迎えにくるお友達のパパやママが先生たちに
話すことが聞こえて、
学校の外のことがちょっとわかったのです。
同時に、ああ、このまま
日本終わりなのかな。とも思いました。
そんなことを考えながら、
私はママと連絡が取ることに一生懸命です。
そして、やっと電波などが回復してきて、
ママと連絡を取ることに成功!
ママ曰く、線路の上を歩いているとの情報。
妹の小学校に迎えに行って、家に一旦帰る。ということでした。
妹もママも無事。とわかった瞬間、
ホッとしました。
いつでも身近にいる存在だったので、
いきなり連絡が取れなくなって
かなり怖かったです。
学校と私のお家は遠いので、
私は学校に泊まることになりました。
そういう生徒は私だけじゃなかったので、
学校に一緒に残った友達と
やばいよ、これ。なんていいながら
先生が買ってきてくれた
パンやおにぎりや飲み物を食べながら、
先生たちとお話をします。
今思えば、先生たちだってきっと
いろんなこと心配だったはずなのに、
生徒の前では、どっしり構えていたかんじでした。
さすがです。
そして、今、私は学校の会議室にいます。
女子は会議室で椅子をベッドにして、
毛布を二人でシェアしながら横になっています。
男子は教室で寝るみたいだけど・・・
男子、どうやって寝てるのか不思議です。
(ダンボールの上で寝てたというのが後から分かりました。)
明日起きたら、電車が動いているといいなあ・・・。
おやすみなさい。
___________________________________________________________
これが、私の5年前の3月11日です。
次の日の朝、
電車が動いて、無事に帰宅できました。
そして、帰宅した後、テレビのチャンネルを何にしても
同じような映像ばかり流れて、
行方不明者の人数は毎日毎日増えていって、
チェーンメールなどでデマが出回ったり、
学校もずーっとお休みになって、
毎日地震速報や津波注意報が流れる度に、
もうこのままどうなっちゃうのかな。と思っていました。
あれから、5年経って
今こうやって、
大学に通えていること、
健康でいれること、
友達がいること、
家族がいること、
全て当たり前のことを当たり前だと思わないで
1日1日を大切に生きていきたいと思います。
2016年3月11日
あの大きな地震から5年経ちました。
(日本時間だと昨日でしたが、いろいろあって
今日更新させていただきます。)
あの日の衝撃は、今でも覚えていて
時々カナダの人に聞かれるんです。
「あの地震のとき、何してたの?」と。
ということで、今日のブログは
もし、私があの日ブログを書いていたなら。という
テーマで書きたいと思います。
※過去に戻った程で書くので、
いろんなことを思い出させてしまう可能性があります。
なので、そういうのが苦手な方は
下にスクロールしてください。
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2011/3/11 22時
11日 学校で地震。
今日、大きな地震がありました。
地震が起こった時は、
部活の練習の最中で、
ちょうど足上げの練習をしていたので、
片足で立っていた状態だったのですが、
体育館の床がものすごく揺れて、
今までに経験したことのないような揺れでした。
一番最初の揺れが収まる前に
体育館の二階にいた、
違う部活のみんなも慌てて外に避難して、
とにかくなにが起こったのか
誰も把握できてなかったように見えました。
揺れは収まったような、収まってないような。
ずーっと揺れてる感覚に陥りました。
部活の後輩ちゃんの中には、
泣いている子もいたりして
私たちはどうしていいかわからないし
とにかく先生の指示に従いました。
揺れが収まったところで、
安全確認も終わり、
とりあえず室内に戻ることに。
ホールにまとめられた私たちは
携帯でママやパパと連絡を取ろうとするけど、
なかなか繋がらなくて、
やばいねー。ってなってました。
こんな時にDS持ってきてればよかったなー。とか、
今日のMステ、誰出るんだっけ。とか、
そんなことをみんなで笑いながら話せていたのは
先生たちが家でみるようなテレビの放送を
学校のテレビにつなげてくれる前の話です。
テレビをつなげてくれた先生たち。
私たち生徒は、「よっしゃーこれでMステ見れるー!!」みたいな
ノリでしたが、テレビにうつされた映像は
ハリウッド映画のワンシーンのようなもので
黒いスライムみたいなのがドクドクと田んぼや畑を侵食しているのです。
流れているテロップなどをみて、津波なんだ。ということは
すぐにわかりましたが、テレビから流れる情報で
あ、日本、やばい状況にいるんだ。と、実感することができました。
電車が止まっていて、いつ動くかわからない。
という情報がわかったのもこの頃です。
いろいろわかってきて、
この地震がどれだけ大きかったのか。ということもわかり、
夜の学校、うえーい!!!から、
中2なりに、いろんなことが心配になってきたんです。
(この時点で夜の8時過ぎ)
学校にどれくらい食料があるかなんてわからないし、
もし、学校に泊まることになったら
布団は全員分あるんだろうか。
水は足りるの?
電気はいつまで続くの?
携帯の充電は?
いつ家に帰れるの?
ママや妹は?
東北ってことは、
福島に住んでるおばあちゃんおじいちゃんは大丈夫なの?
という具合に、どんどん心配になって、
まわりのお友達で学校の近くに住んでいる子は
お母さんお父さんがお迎えにきたりしていてました。
信号が止まっている。
コンビニの商品はほぼ全部売り切れ。など
お迎えにくるお友達のパパやママが先生たちに
話すことが聞こえて、
学校の外のことがちょっとわかったのです。
同時に、ああ、このまま
日本終わりなのかな。とも思いました。
そんなことを考えながら、
私はママと連絡が取ることに一生懸命です。
そして、やっと電波などが回復してきて、
ママと連絡を取ることに成功!
ママ曰く、線路の上を歩いているとの情報。
妹の小学校に迎えに行って、家に一旦帰る。ということでした。
妹もママも無事。とわかった瞬間、
ホッとしました。
いつでも身近にいる存在だったので、
いきなり連絡が取れなくなって
かなり怖かったです。
学校と私のお家は遠いので、
私は学校に泊まることになりました。
そういう生徒は私だけじゃなかったので、
学校に一緒に残った友達と
やばいよ、これ。なんていいながら
先生が買ってきてくれた
パンやおにぎりや飲み物を食べながら、
先生たちとお話をします。
今思えば、先生たちだってきっと
いろんなこと心配だったはずなのに、
生徒の前では、どっしり構えていたかんじでした。
さすがです。
そして、今、私は学校の会議室にいます。
女子は会議室で椅子をベッドにして、
毛布を二人でシェアしながら横になっています。
男子は教室で寝るみたいだけど・・・
男子、どうやって寝てるのか不思議です。
(ダンボールの上で寝てたというのが後から分かりました。)
明日起きたら、電車が動いているといいなあ・・・。
おやすみなさい。
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これが、私の5年前の3月11日です。
次の日の朝、
電車が動いて、無事に帰宅できました。
そして、帰宅した後、テレビのチャンネルを何にしても
同じような映像ばかり流れて、
行方不明者の人数は毎日毎日増えていって、
チェーンメールなどでデマが出回ったり、
学校もずーっとお休みになって、
毎日地震速報や津波注意報が流れる度に、
もうこのままどうなっちゃうのかな。と思っていました。
あれから、5年経って
今こうやって、
大学に通えていること、
健康でいれること、
友達がいること、
家族がいること、
全て当たり前のことを当たり前だと思わないで
1日1日を大切に生きていきたいと思います。
2016年3月11日
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